UP 2006.12.20
石岡の歴史年表


時代 年号 西暦 事項
旧石器 - BC1万 宮平遺跡、二子塚遺跡、正月平遺跡
縄文 - BC4千 三村地蔵窪貝塚、染谷高根貝塚などの貝塚が形成される
- BC2千 東大橋原遺跡、大作台遺跡、白久台遺跡、宮原遺跡
弥生 BC300-100 外山遺跡、峠遺跡、宮原遺跡
古墳 - 450 このころ舟塚山古墳が築造される
飛鳥 大化2 646 新治、筑波、那賀、久慈、多珂、茨城の6国をあわせて常陸国となる
国衙を石岡に置く
奈良 和銅3 710 このころ、常陸国の人口が19万人以上と推定される
養老3 719 藤原宇合が常陸守となる
養老7 723 養老年間に「常陸国風土記」が編さんされ、このころ完成する
天平13 741 これよりのち、常陸国分寺、常陸国分尼寺が石岡に創建される
天平勝宝2 750 このころ、常陸国の人口が22〜24万人と推定される
平安 天長3 826 常陸、上総、上野の3国が親王任国となる
天慶2 939 平将門が常陸国府を焼き、国印とかぎを奪う
長元5 1032 菅原孝標が常陸介になる
永承6 1151 百済貞成が常陸国府に住み、税所職になる
鎌倉 建久4 1193 馬場資幹が常陸大掾となる
建保2 1214 馬場資幹が居館を府中に造り、石岡城とする
安貞元 1227 小田知重と大掾朝幹が、大掾職を争う
南北朝 貞和2〜 1346〜 大掾詮国、古城の地に府中城を築く
室町 正長2 1429 足利持氏は、大掾満父子を鎌倉において殺害する
永禄元 1558 このころ、大掾常春が三村城を築く
永禄6 1563 大掾貞国は小田氏治と三村で戦い敗れる
安土桃山 天正元 1573 小田氏治に攻められ三村城が落城し、城主の常春は戦死する
天正18 1590 佐竹義宣に府中城を攻められ、大掾氏滅亡
江戸 慶長8 1603 このころ、石岡に一里塚を築く
元和8 1622 皆川広照が、府中領主になる
元禄13 1700 松平播磨守頼隆が、府中藩主になる
享保13 1728 守木町から出火し、中町、金丸町、香丸町、東町、仲ノ内町、幸町、守横町に延焼する
文政11 1828 松平頼縄は、陣屋門を創建する
嘉永5 1852 都々逸坊扇歌、府中で没し、国分寺に埋葬
元治元 1864 天狗党事件がおきる
近代 明治6 1873 石岡小学校、高浜小学校、三村小学校が開校
明治8 1875 茨城、新治の両県を合併し、茨城県となる
明治22 1889 染谷、村上の両村を合併し、石岡町となる
明治28 1895 石岡駅、高浜駅が完成する
昭和4 1929 石岡町大火
昭和29 1954 石岡市が誕生する
平成17 2005 石岡市と八郷町が合併し、新たに石岡市が誕生する


  ( 参考: ガイドブック歴史の里いしおか 平成6年 石岡市教育委員会発行 )